3人の夢

 


ここではボクシングを始めたときから一緒にやってきたシンゴコーチとお父さんとの夢を書いていきます。

 
   


私とコーチとお父さんの歩み

まず、コーチと私の出会いが私が小6の時でコーチが23~4歳だったので、ほぼほぼ10年前になります。

ボクシングを始めるまでの私は本当にゴミクズでした。
何をやっても続かない、楽しくない、遊びほうける、万引きしまくる、警察のお世話になる!!

唯一楽しいと思えるのは、万引きで盗ってきた当時流行りのカードゲームやベイブレードしかありませんでした。

「これではマズイ!」と思った親に連れられサッカー・合気道等を転々としたあとに入ったのが、近くのボクシングジムでした。
それが俺のジムのしんごコーチとの出会いです。

体験でボクシングをやらせてもらって本当に楽しかったですし、初めてしっくり来た記憶があります。

段々慣れてくると世界チャンピオンの試合を観戦したり、遠征に行ったり辛かった練習もありましたが目標が出来てからはガラリと生活が変わり始めました。

しんごコーチの考えは常に世界基準で「文武両道なんて天才しか出来ん!凡人は一点突破でやるしかない!」という考えでしたし、私も納得した上でボクシングばっかりをやっていました。

そうなると父は反対してきます 笑

今までの私を見ればそりゃ反対もするはずです!

だって、また長続きしないで辞めるかもしれないのに勉強はやらない、成績は当たり前のように下がる、しかも、まだ中学生で高校進学にも響いてくる!!となれば当たり前ですよね 笑

ただ、それでも勉強は本当に最低限にして何を言われようともボクシングだけをやり続けました。
ウソをついて家から抜け出してでも練習だけは通い続けたのです。

それを1年くらいかな?

行動で示し続けた結果、父も私の熱量に折れたのか「勉強しろ!!」とは一切言わなくなり逆に「ボクシングだけを頑張れ!」と応援してくれるようになりました。

実際、父が折れる前に同じく選手としてやっていた他の子が、親から言われる「勉強しろ、勉強しろ!」に耐えきれなくなって辞めていった人も見ています。

勉強だけでなく、強くする為に練習をきつくしたりしているのに、そこでまた親が出てきて→「キツイ練習はやらせるな!でもうちの子は強くさせろ!」という意味のわからない事でセンスのある子や頑張っている子が辞めていったのも見ています。

今になって本当に感謝出来ることですが、親がでしゃばってきて辞めさせられているのを沢山見てきたので、改めて理解のある父で良かったな、と思います。

そこからは父も本気で応援してくれました。

グローブ、ボクシングシューズ、合宿、遠征、全て二つ返事で「いいよ!」と言ってくれたことで、より頑張ろうと思えました。

練習に関しても「俺は素人だし、コーチを信用しているから何も口は出さないし出せない!むしろきつい事ばっかりやらせて欲しい」と言って全てを私とコーチの思うようにやらせてくれました。

今まで辞めていった選手の親は絶対に何かしら口を挟んでくる、文句ばっかり言う、子に甘すぎる。勉強させようとしてくる!これが絶対に絡んできて「選手」「コーチ」「親」のバランスが取れずに辞めて行ったのが100パーセントです。

父のお陰でボクシングだけに没頭することが出来ました。

試合の度に絶対に応援に来てくれ、私が勝ったなら本当に私より喜んでくれ、私が負けたなら励ましてくれ、ボクシングを始めた時から今の今まで3人で話し合い、サポートし合い、本気でぶつかり続けて今もやっています。

今でも覚えているのが中学生の頃の東北大会の決勝、相手は評判も良く良い選手でした。その選手にダウンを奪って判定で勝ち、試合後、父とコーチの所へ行くと父は泣いた様な跡がありました。

必死に見せまいという素振りを見せていましたがバレバレでした。笑

後日、父が試合の動画を撮っていたので見てみると、今まで聞いたことない様な大声を出して応援してくれている、そして試合の動画はブルブルに震えていました。

その時に、改めてもうボクシングをやる上での夢や目標は私自身の物ではなく、私・父・コーチの夢でもあるんだなと思った瞬間でした。

ここまで「選手」「親」「コーチ」3人の仲が良いのも珍しいと思います。

3人とも良い意味でぶっ飛んでいるからこそ変な常識や一般論に振り回されることなくやれているんでと思います。

プロボクサーになってからもこの関係は変わりません。
コーチは全力で俺の事を変わらず教えてくれる、父は陰ながら物凄いサポートをしてくれる、、

この2人が居なかったらいまの私は確実にいません。

ボクシングをやっていなかったら、いや、しんごコーチ、父と出会って居なかったら確実にゴミクズ野郎になっていました。

はっきりと言えるのが、しんごコーチに出会っていなかったらボクシングを確実に辞めているということです。

今でも鮮明に覚えているのが、私は昔、同じ年齢の天才タイプの子に、それこそ毎日毎日2年近くボコボコにされていました。

ある練習の時にどちらが先にコーチに教わったパンチを当てれるか?のスパーリング(実際に殴り合う練習)のときに、
今思い出してみても、これ以上ないというタイミングでカウンターを合わされたことがありました。

見たことも無い様な黒い鼻血がドバドバ出てきて、何より自分的にも完全なる敗北ということが理解したというか、思い知らされる1発だったので2時間近く大泣きをしてしまったのですが、
その時にしんごコーチは「大丈夫だ!ヤッチは体が出来てくれば必ず一番強くなるし、必ず世界チャンピオンになれる!どんなにボコボコにされても「今だけ!」と自分で考えるようにしろ!」と泣いている間の2時間ずっと言い続けてくれたのです。

アレが無ければ確実にあそこで辞めていたと思います。

かと言って他の父だったとしても確実にボクシングを辞めています。

しんごコーチに出会い、父の子として産まれてきたこと自体が奇跡ですし、私合わせて3人が同じ方向を向いて本気で夢に向かっている。

こんな奇跡的な出会いを確率でいったら、砂漠でビーズを見つけるより低いと思います。



私の夢は世界チャンピオンになる。ではありません。

私の夢はしんごコーチと父で世界チャンピオンになる。

です。

世界を獲ったらリングに2人共上げて大泣きします。笑

今はまだ世界ランキングにも入っていない駆け出しのボクサーですが、私もコーチも父も今まで一度も「世界チャンピオンになる」ということだけはブレていません。

何者でもありませんが、何者かになる自信だけはあります!

だから、素直に私を応援して頂きたいです。この夢にご協力して下さるとより一層励みになります。

1人で達成できる夢ではありません。
しんごコーチ、父、応援してくださる皆様がいないと絶対に見れない景色が世界チャンピオンです。

普通に生きていたら絶対に見れないような景色を必ず見せます。裏切りません!!

よろしくお願いします。

 
   


父の想い
何から書こうか悩む所ではありますが、ここまでとこれからについて親として1ファンとしての私なりの見解、想いを書いてみようと思います。
尚 文法、文面がおかしいのはあしからず。

息子がボクシングとしんごコーチと出逢ってから早10年…
本当にいろんなことがあったけど、時が過ぎるのは早い。
ボクシングを始めた頃の息子はまだ150センチもなかったのに今では私よりも大きい。
あの始めた当時の息子から現在を想像出来た人は本当にいないと思う。私ですら。
でも2人には見えていたからこそ強い絆と今現在があるんだと思う。

ボクシングとしんごコーチと出逢う前の息子は、幼少の頃の話しですが、まーまず泣く子。気が短く感情の表現が泣くことでしか表現出来ない子でした。何をやっても長続きせずゲームやカードゲームなどを好み、運動嫌いなインドアな子だった。

小学6年の時に万引きで警察のお世話になり、何かスポーツでもやらせないと今後はどうしたものかと悩みいろいろなスポーツの体験に行かせることにした。 最初は私がサッカー観戦が好きなのを知ってか知らずか、親に気を使ったのか、サッカーをやると言っていたがその後、近所にキッズのボクシングがあり、とりあえず体験だけさせてみようと行ったのが今もお世話になっているしんごコーチとの出逢いだった。
そこまでの息子を見てる限り確実に無理だし、やらないって言うのだろうなと私は思っていた。スポーツはほぼやったことがなかったし、運動神経も良い方ではなかったし、泣き虫だし…
ボクシングは殴り合うスポーツですからね。
それがまさかの初めて自分からボクシングをやりたいって言い出した時には本当にビックリしたのを憶えている。

それでもその時はまたすぐに飽きて休む口実を作り長続きしないのだろうなと私は思っていた。
年末に体験に行き年初めの合宿から練習とのことで、これは後から聞いた話しだが息子はお泊まり、キャンプ気分で合宿に行ったみたいだ。地獄の練習だと知らずに…
いろいろな分岐点があったと思うが、最初の分岐点はまずここだったのかなと私は思う。
合宿から帰ってきた息子の顔は、初めて自分で何かを乗り越え自信がついた、そんな顔つきだった。
1週間くらいでは体付きは変わらないのに鏡の前で誇らしげにポージングする息子が微笑ましく思えたことを今でも鮮明に憶えている。

そこから中学3年の前半くらいまでは本当に辛い思いばかりしたと思う。誰よりも不器用で出来なくて泣くことばかり。それでも歳頃になり練習でキツいことや辛いこと悔しいことがあっても、家に帰ってきて私の前では平然を装って我慢してる姿を見て、男の子から男に、大人になってきたんだなぁと感じた。
それまでは何かと理由をつけてすべてのことにさぼろうとしていた息子が、ボクシングの練習だけは風邪を引こうがインフルエンザになろうが、逆に休みなって言っても取り憑かれたように練習する日々。
子が何かに真剣になれることは、目標が出来ることは、親としてはすごく喜ばしいことだし出来る限りの協力をしたいと思うのは当然のことだと私は思う。

私が息子の強い決意を感じたのは高校進学時。
とある県内のボクシング強豪校からのスカウトがあり、私としては部員が多い所でもまれたほうが本人にいいかなと思い、息子に勧めたら本人は何の迷いもなくNO。
練習相手も多いし強くなれんじゃないの?って言ったら息子から返された言葉。
練習相手が多ければ俺は強くなれんの?
俺はしんごコーチと練習して世界を獲るんだ。って、しんごコーチと獲らなきゃ意味がないって。号泣しながら訴えてきたあの強い眼差しは私は絶対に忘れないと思う。
私はその時から息子の1番の理解者になり、1番のファンになろうと決意した。

息子がボクシングと出逢い、コーチと出逢い、ずっと言い続けてる夢
世界チャンピオン。
なんのスポーツにせよ多分みんな1度は口にするだろう言葉だと思う、世界一になりたいという夢。ただ少しずつ大人になり現実を知りその言葉を口にしなくなる気がする。
息子はただの一度もそれがブレたことがない。
高校3年の終わり、改まって私に お父さん俺はプロになる。必ず世界を獲るからこれからも応援、バックアップして欲しい。
ここまで、沢山の岐路に立ちどちらを選ぶか選択したきたのは全て息子本人。自分で選んだ険しい道に私は頑張れと背中を押してやることしか、声を枯らして応援してやることしか出来ない。
笑顔で頑張れと返した。

まだまだ息子の夢は旅の途中。漠然と目指していた夢は少しずつリアルなものに近づいていっている。
息子の試合の度に息子以上に緊張している私としんごコーチ。毎試合眠れぬ日々を過ごし、声を枯らし、手に汗握り
ドキドキが止まらない。
試合後必ず確認することがある。コーチも私も泣いていないことを…3人で約束したこと、聖也が世界を獲るまで泣かないこと。
まだまだ長い道のりだが私は約束が守られる日が来るのを信じている。

 
   


コーチの想い
しんごコーチです★

ヤッチとの出会いは運命的でした

2012年の12月30日、ジムの最終営業日です。

宇都宮に遠征をした帰りのことでした。

遠征で私の育成する選手がサウスポーにボコボコにされたことで、帰りの車内はサウスポー対策をどうするかで持ち切りでした。

その頃は小学6年生~中学2年生の選手がいたので私はこう呟いたのです。

「誰か6年生くらいの左利き入ってこないかな~」

すると電話が鳴りました。

「体験したいんですけど」

「今年はもう営業しないんですよ~最短は年明けになります」

「そうですか・・・」

「ちなみに何年生ですか?」

「6年生です」

「お!!!ちなみに何利きですか?」

「左利きです」

「14時には郡山に付くので体験に来て下さい!」


引き寄せの法則なのか何なのか?そこでバッチリ体験がハマり入会したというのがヤッチとの出会いでした。

最初のヤッチの印象で言えば、学年から見た体格は2~3年遅れのガリガリで、運動神経も悪いという邪魔な存在でした 笑

ただ、そう思っていたのも数日でした。

スピードだけは誰よりも速かったからです。

私は自分自身が水泳をしていたこと、水泳を教えていたことでスピードは持って生まれた物が大きく作用されてしまうことを実感していましたので、まずは第一関門のセンスはあるなと思い直したのです。

そして、ガリガリで手足だけは長いというのは、ボクシングでは有利に働くので、将来の予測身長を割り出しました。

すると173㎝と出てきたのですが、ヤッチの体型なら将来はSフライ級かバンタム級。

この階級では頭1つ大きい身長になる&スピードがある。

これだけでも世界チャンピオンになれる要素は揃っていましたが、ヤッチは「半端じゃない気の強さ」がありました。

デビュー戦の相手は10㎝くらい身長の高い相手で勝てそうにない相手でしたが、当たらないパンチにイライラして終いにはラウンド中に泣き出しながらも、物凄い形相で殴り掛かる姿を見たのです。

私はあの瞬間に「ヤッチは確実に世界にイケる」と確信したのです。

確かに、高校時代の敗戦は多かったですが、完全に体負け。1つ1つじゃ圧倒的に勝っていたので、私はヤッチが「もうダメかな?」と思ったことは一度もありませんでした。

水泳あるあるですが、小さい頃にセンスがあるからといって体つくりを焦らせた結果、成長が止まってしまい、周りの遅かった選手が体が出来始めた頃にセンスではなく体だけで負けるというのがあったので、焦る事なく基礎を徹底的にやる事が出来たのです。

もう1つ、ヤッチが上手くハマったというのがメンタル面でした。

ヤッチは入会当時6年生で普通なら自我が芽生え始める頃でしたが、体が小さく2年~3年くらい成長が遅く、メンタル面は完全に子供でした。

それが良かったのです。

要所要所で一流アスリートの心構えや上を目指すためのマインドの種をしっかりと植え込むことが出来たからです。

ヤッチ以外にもメンタルトレーニングをしていましたが、自我が出ている子だとどうしても入りにくいというのがあったので、種まきと育成のあいだに自我が入るというギャップが生まれて「自分の意思に見える逃げ」になってしまうことが多かったのです。

これが全て上手くハマったのがヤッチであり、おおまかな出会いです。


あとは、お父さんの完璧なバックアップがありました。

他の親と私の関係性は不信感でしかなかっただろう!!と言えるくらいのものでした。

当時の私は23歳か24歳。お父さんお母さんは30代半ばや40代。

生意気盛りだった私ですので、「親なんか子供の習い事に出て来るな」と平気で言っていたような気がします・・・

そりゃ嫌われます 笑

調子に乗っていたのもあります。当時のキッズクラスはほぼ全勝でしたし、私も「親のいう事なんか取り入れてたら強くなるものも強くならん」と思っていたという手の付けようがないゴロ付だったのです 笑

ただ、私は理不尽に生意気だった訳ではありません。

選手コースの存在理由は「世界チャンピオンを作る為で、全てをそれに合わせた考えと行動でやってます」というものでしたので、判断基準が「間違ってはいない理解されにくいこと」だったように思います。

そういう判断基準でしたので、ヤッチが高校のボクシングを引退してプロで上京する為の準備期間の際に、当時あったグループラインに「どうせ世界目指さないんだからやっても時間の無駄!」という考えで「ヤッチのプロの準備をするから私はキッズクラスと選手クラスのコーチから降ります」なんてことを言っておりました 笑

今、私も親という立場になり、ある程度は理解が出来るようになりましたが、勉強をやらせたい親・ボクサーなんてと思う親・ある程度で良いよという親と色々な考え方があるのもやっとわかってきましたが、
当時の私にそんな考えは皆無でした 笑

そんな中、ヤッチのお父さんだけは「あの聖也をここまで変えてくれるのが他人だったんだから、俺は何も言わないですよ。聖也とコーチだけの世界感でやってください。応援だけしか出来ないですけど全力で応援しますから。」と言ってくれたのです。

それ以降はヤッチも書いていますが、何を頼んでも2つ返事でOKでした。

安くない遠征費、私の人件費、練習道具、練習環境、受けさせたいトレーニング、全てにおいて2つ返事でストレスなく練習に打ち込ませることが出来たのです。

ジム内のゴタゴタで私とヤッチの仲が悪くなった際も、お父さんが間を取り持ってくれて今日に至っています。


確かに、今はヤッチはなんでもないボクサーですし、私もほぼ素人上がりのコーチですし、お父さんもボクシングを知りません。

ただ、「世界を獲る」という共通認識の下、ヤッチを先頭にお互いを信じる力と試行錯誤だけでここまで来て、もう少しで世界が見えてくる所まで来たのです。

誰も信じなかった、皆が鼻で笑った、皆がバカにしたけど、3人だけは信じて疑わなかった「世界」がもう少しのところまできているのです。


私はYOUTUBE等で誰かが世界チャンピオンになった瞬間を見ると2秒で涙が出るのですが、それってそのチャンピオンのことを想ってとかではありません。

ヤッチ・お父さん・私の姿を重ね合わせているからなのです。

世界を獲ったらお父さんと私をリングあげて大泣きすると言ってくれているヤッチ。
世界を獲るまでは泣かない&バックアップはいくらでもすると言ってくれているお父さん。
何があっても世界を獲らせて、ヤッチとお父さんの努力報いたいと思う私。

今はたった3人の夢ですが、大きい所を目指すと大きい協力が必要になってくるのもわかってきました。

もし、このHPに辿り着き、私達3人の夢に共感し、同じ世界という景色を観たい方がいらっしゃいましたら、ご協力頂ければ幸いでございます。